清朝時代、イギリスとのアヘン戦争に備えて配備された台南の四草砲台(Sicao Artillery Battery)を訪問。
当時洋上に睨みを利かせていた砲台の穴の向こう側に、現在広がっているのは…。
四草砲台 Sicao Artillery Battery
17世紀初頭、オランダが安平に築城したゼーランディア城(現:安平古堡)と、プロヴィンティア城(現:赤崁楼)との間には「台江内海(Taijiang Inner Sea)」と呼ばれる湾がありました。
今となっては信じがたい話ですが、当時はプロヴィンティア城(現:赤崁楼)の西端は海に面しており、その当時のようすを描いた絵を赤崁楼の内部で見ることができます。
明の鄭成功がオランダを撃破するゼーランディア包囲戦(1661-1662)において「鄭成功が通ったルート」にあるのが、現在の四草(Sicao)です。
19世紀の清朝時代に土と泥を投入して台江内海は埋め立てられ、四草は台南の玄関口として機能するようになります。
1840年に勃発したイギリスとのアヘン戦争に備え、台湾の軍事責任者だった姚瑩(Yao Ying)は、四草に砲台を配備。
四草砲台(Sicao Artillery Battery)の一部は、ガジュマルの根を這わせながら残っており、今もその姿を確認することができます。
四草砲台が設置された当時、赤煉瓦が貼られたこの丸い穴からは水平線が見えていたのでしょう。
時期によっては、キラキラと水面を輝かせながら沈む夕日も見れたかもしれません。
現在、四草砲台の先に見えるのは小学校です(鎮海國小)。
かつてはおどろおどろしい重たい空気に包まれていただろうこの場所に。
現在は、子供たちの活気のある声が丸い穴の向こうから聴こえてきました。
四草砲臺の近くには、マングローブの四草緑色隧道や四草大衆廟があります。
訪問の際には、ぜひ合わせてどうぞ。
四草緑色隧道 マングローブが織りなす緑色のトンネルでミニクルーズ(台南)
四草砲台の行き方・アクセス方法
台南の路線バス「99番」「10番」でアクセスできます。
詳しい路線図は四草緑色隧道のアクセス方法欄をご覧ください。