鶯料理 日本統治時代の旧高級料亭 / 日本式木造建築物を再建・一般公開(台南)

台南の旧料亭の鶯料理の外観

台南にある日本統治時代の旧高級料亭、鶯料理(原鶯料理)の日本式木造建築物に立ち寄りました。

建物群は、有名レストランの阿霞飯店が運営管理しており、台南市の記念的建築物として保存され、2013年から一般公開しています。

鶯料理

台南の旧料亭の鶯料理の外観

日本統治時代の高級料亭、鶯料理の建築群。
台南にある有名レストラン店の阿霞飯店が管理、無料で一般公開しています。

鶯料理の歴史概要

台南の旧料亭の鶯料理の外観
台南の旧料亭の鶯料理の説明概要
鶯料理の歴史概要(※クリックで拡大します)
台南の旧料亭の鶯料理の外観
鶯料理の歴史概要(※クリックで拡大します)

鶯料理は日本統治時代の1912年、日本人の天野久吉氏が、日本料理の大衆食堂としてこの地に創業。

その後1920年に、建物や庭園を改修増築して高級料亭へ。
当時の政財界要人や地元の有力者が集まる社交場として栄えました。

1923年、昭和天皇が皇太子時代に台南を視察を訪れた際には、料亭鶯料理が食事を用意したとされます。

台南の旧料亭の鶯料理の概要説明
鶯料理の歴史概要(※クリックで拡大します)

概要:2018年、「鶯料亭」は正式に台南でも知られたレストラン「阿霞飯店」が引き継ぐことになった。
「阿霞飯店」の創設者である呉錦霞は、名声・料理・技術共に深く台南人から賞賛を受けている。
このような結びつきは、とても素晴らしいものである。「阿霞飯店」は、自分達の創設者の技能と精神を守り伝えるだけではなく、また天野久吉が作った料理を堅持し自分の為ではなく台南の為に役立てることも続けて行っているのである。

「鶯料理」は、1912年に天野久吉によって創業された。彼の一生において、仕事を熱烈に愛し、国への貢献に力を入れ、そして台南というこの地を深く愛したのである。彼の遺志の一つに台南に葬って欲しいというものがあり、彼の言う通り、台南は彼にとっての故郷なのである。
百年後の今日、私達はこの家族について語る時、少しずつ日本と台湾との間の特別な感情を刻んでいる。歴史には、多くの正しい・間違いがあるが、天野家と「鶯料理」のエピソードは永久に続くことをただ願うのみである。

台南の旧料亭の鶯料理の説明概要
鶯料理の創設者 天野久吉氏の概要(※クリックで拡大します)
台南の旧料亭の鶯料理の説明概要
鶯料理の歴史概要(※クリックで拡大します)

概要:天野久吉は明治44年に「鶯遷閣」を辞め、日本へ帰国する。明くる明治45年(西暦1912年)台湾へ戻り、同年11月15日(当時の元号で大正元年)測候所(現在の台湾南部地区気象台)の傍らに料理屋を開業する。開業したその店の名を、当時「鶯遷閣」の社長であった龍見亀蔵への感謝を込めて、「鶯」と命名したのである。彼の料理の最高の腕前もあって、開業してから6、7年後台南で相当有名な日本料理店となり、天野久吉はこれにより多くの収入を得ることになったのだ。当時の日本人の新聞には、常に「鶯料理」の広告が見られたという。またそれらの広告では、天野久吉の料理は本物の日本の味がすると賞賛されたのである。また他に「一筆料亭」のオーナーであった永野鶴太郎と並んで、天野久吉は「南台湾の二つの包丁」と言われた。大正13年(西暦1925年)、「鶯料理」はリニューアルされ、料亭の前面部分には二階部分全部で3間10坪の大小の個室を増設したのである。これら以外にも巨額の資金を投じて日本式庭園が増設された。

台南の旧料亭の鶯料理の説明概要
鶯料理の建物構造概要(※クリックで拡大します)

鶯料理の建物は、表棟、中棟、裡棟の日本式木造3棟から構成。

日本式木造家屋

台南の旧料亭の鶯料理の外観

敷地西側に再建された、日本式木造家屋。

台南の旧料亭の鶯料理の日本庭園

赤レンガなど土台の一部は、当時のまま残っています。

台南の旧料亭の鶯料理の館内の廊下

床板の廊下や障子、畳、料亭で使われた制服や包丁、食器など、日本人にとって懐かしく思うような物品ばかり。

台南の旧料亭の鶯料理の和室
台南の旧料亭の鶯料理の外観
台南の旧料亭の鶯料理の館内
台南の旧料亭の鶯料理の内観
台南の旧料亭の鶯料理の館内の急須
台南の旧料亭の鶯料理の館内
台南の旧料亭の鶯料理の館内の和服
台南の旧料亭の鶯料理の館内
台南の旧料亭の鶯料理の概要説明
鶯料理の歴史概要(※クリックで拡大します)

概要:国民政府による台湾接収後、台湾にいた日本人が置いていった産業の大多数は政府所有となり、大陸反攻への心を持っていた政府にとっては、台湾は一時の仮の場所であった。日本人が建てた建物のほとんどが破壊され、文物もまた持ち出されたり売り飛ばされた。台南忠烈祠の青銅製の馬を例に例えると、前足と尾の部分は戦後切断され、古物商に売られたのである。台南にいた天野一家にとっても同じことであった。台湾降伏後、「鶯料理」は台南第一高等学校の教職員宿舎となり、本来天野家の所有していたものがどこへ行ったのか知ることはできない。また天野久吉の記念碑や銅像も同様である。時間が流れていくにつれて建物本体も老朽化し、しまいには破棄された。
台南市は元々「鶯料理」を指定の文化遺産に登録するつもりだった。しかし、建物の所有権が不明なままで、フェニックス台風が台湾を遅い、建物が破壊してしまったことで、文化遺産には登録されなかったのである。

台南の旧料亭の鶯料理の瓦屋根

瓦屋根。

台南の旧料亭の鶯料理の瓦屋根

鷲嶺食肆

台南の旧料亭の鶯料理の外観

中央の表棟は、鷲嶺食肆。
1階は軽食と、お土産ショップ。2階はギャラリーとして開放されています。

お店は想像以上にお洒落な雰囲気。

台南の旧料亭の鶯料理のオブジェ
台南の旧料亭の鶯料理のオブジェ

鷲嶺食肆のエンブレム。陶器の欠けらでできた鷲。

台南の旧料亭の鶯料理の館内

2階のギャラリー空間。靴を脱いで入室します。

台南の旧料亭の鶯料理の内観
台南の旧料亭の鶯料理の館内の陶器
台南の旧料亭の鶯料理のオブジェ

こちらの絵はよく見ると、一体ずつ別の動物で構成されていました。

日本庭園

台南の旧料亭の鶯料理の日本庭園

池には鯉が泳ぎ、日本庭園も美しく再現されています。

台南の旧料亭の鶯料理の中庭
台南の旧料亭の鶯料理の外観

夜の鶯料理ギャラリー

台南の旧料亭の鶯料理の外観

夜になるとライトアップされ、より日本の侘び寂びを感じることができます。

台南の旧料亭の鶯料理の外観
台南の旧料亭の鶯料理の外観
台南の旧料亭の鶯料理の灯篭
台南の旧料亭の鶯料理の外観
台南の旧料亭の鶯料理の外観
台南の旧料亭の鶯料理の外観

鶯料理と阿霞飯店の間の通りには、有名な道教廟の天壇も。
こちらもライトアップされ、ノスタルジックな台南の雰囲気を醸し出していました。

尚、台南市内には日本統治時代の料亭建物が他にも残っています。
現在は御茶屋さんの「十八卯茶屋」。
鶯料理からすぐ近くの場所にあります。

鶯料理(鷲嶺食肆)の行き方・アクセス方法

台鉄「台南駅」より徒歩約15分。

鶯料理(鷲嶺食肆)の営業時間

鶯料理(鷲嶺食肆)

住所:No. 18號, Lane 84, Section 2, Zhongyi Road, West Central District, Tainan City, 台湾 700
電話番号:+886 6 221 0595
営業時間:火〜金 13時00分~21時00分 土日 10時00分~21時00分
定休日:月曜日

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