台南にある国定古跡、五妃廟(ウーフェイミャオ、Temple of the Five Concubines)を訪れました。
五妃廟 Temple of the Five Concubines
「五妃廟 / ごひびょう」(ウーフェイミャオ、Wufei Temple)は明朝最後の王、寧靖王の5人の妃を祀った廟。国定古跡に指定されています。
歴史・沿革
時は1683年。明朝最後の王・寧靖王(朱術桂)は渡台するも清軍に追われ、自死を決意。
王の最期を悟った、側室の袁氏、王氏、侍妾の秀姑、梅姐、荷姐等5人は共に死を選び、先立って殉死してしまう。翌日、悲しみにくれる寧靖王は彼女達を魁斗山に埋葬し、後を追うように自死を遂げた。
この悲話を知った後世の人々により墓所に廟が建てられ、五妃廟となりました。廟内には5人の妃の御神体が祀られています。
五妃廟の歴史沿革は以下の通り。
1683年 側室の袁氏、王氏、侍妾の秀姑、梅姐、荷姐等5人殉死、魁斗山へ合葬。寧靖王自死、現在の高雄市湖内区湖内村に正室の羅妃と合葬。
以後「五烈墓」と呼ばれ当時の人々からその徳の高さを慕われ、想い起され続ける。
魁斗山への合葬は盛り土も植樹もされなかったが、清朝康熙帝時代の末、人々はその忠義を敬って「五妃」と呼ぶようになる。
1751年 台湾知県の魯鼎梅が改修。「五妃墓」と呼ばれる。
1878年 府城(現在の台南)の呉昌記が改修を発起、前に廟が置かれ後ろに墓がある姿に形成。「五妃娘廟」と呼ばれる。
1927年 日本の愛国婦人会台南州部長の日本人、室人愛枝が修復を提唱、同年7月に竣工。台南州知事、喜多孝治が「五妃之碑」を揮毫し、廟の前に建立して以来「五妃廟」と呼ばれる。
建物
五妃廟は東北を向いており、単進両護龍式の建築。
硬山式の燕の尾のように反った屋根の形になっています。
正殿
正殿正面。
正殿の門の内側の枠には、昭和2年(1927年)10月に許延光が敬意を表して創った、対聯(ついれん)が見られます。
「王儘丹心妃儘節 地留青塚史留芳」。
(王は忠誠を尽くし、妃は貞操を全うしてこの地に塚を留め、歴史に偉大な名を遺した。)
一間の正殿には五妃の神像が祀られています。
正殿に高く掲げられている「貞霊威著」の扁額(へんがく)。
対聯は、台南市台南社第三代社長、趙雲石氏が揮毫(きごう)したものです。
「血化一元鳥哀啼帝魂 香流五桂花是女貞」。
(忠実な一元鳥が皇帝の魂を嘆き、香る5つのキンモクセイの花は貞操。)
これらの詩は五妃の徳を歌い、300年以上も人々が敬い続けてきたことを表しています。
更に奥へ足を進めます。
神像が背にする裏の壁には、「寧靖王従死五妃墓」の碑が埋め込まれています。
石碑横には青龍の姿。
寧靖王は没年66歳。
門神(門神)
五妃廟の門神の絵には台湾でしか見られない特色があります。
亡くなった王妃は神となり、后妃の地位へ。彩色画は宦官、皇宮を題材にしています。
皇宮の侍女が持つ壺と桃、ザクロは、花の香りを奉げて富と地位が続いていくことの揶揄です。
左右の扉には清末期の有名な宦官、唐景崧の詩があります。
「秀姑合伴王袁死 兩婢荷梅死更奇海上鵑啼悲玉帯 塚中魚貫葬瓊枝 法華寺畔尋詩謁 魁斗山前弔冷祠 竹滬遙遙埋白骨 城南風雨走霊旗」。
(秀姑とともに王氏と袁氏が死に、荷姐と梅姐の2人の死はより伝奇的である。海のカモメは悲しみの玉の帯を鳴き、塚の中には皇族が順序良く葬られ、法華寺の近くで詩を探し、魁斗山の前で寂しげな祠を祀る。竹滬には白骨が埋葬され、城南の風雨で霊旗が動く。)
拜亭(拝亭)
正殿前には4本の柱を使った歇山馬背式屋根の拝亭が立ち、正門の4つの扉が出入口になっています。
正面がわずかに斜めになって入口の空間を狭くしているため、「八の字壁」と呼ばれています。
墳塋(墓)
廟の裏手は盛り土され、小高い丘のようになっています。周囲は古木が陰を作り、草が茂って故人への思いを強くさせます。
五妃は大義のために死に、長く模範となって感動を与え続けることから、後世の五妃を称える詩が多く、台湾の歴史に関する詩作ではその作品数が最も多くなっています。
なかでも大南門の碑林で1746年に建てられた「五妃墓道」は巡台御史范咸の絶句十首が収められているそうです。
義霊君墓
廟の右には小さな祠があり「義霊君之佳塋」という碑が立っている義霊君の墓には当時殉職した2人の侍従宦官の骨が埋葬されています。
2人の宦官の地位が低いながらも忠義の強さに感心した後世の人が、五妃墓の右側に忠魂義霊として葬っています。小さな祠ですが、その意味は計り知れません。
五妃之碑
昭和2年(1927年)日本人の室人愛枝が改修を提唱し、同年7月に竣工しました。
台南州都知事、喜多孝治がここで揮毫した「五妃之碑」は、優美な文体と奥深い意味を持っています。
日本植民地時代から現存する数少ない石碑の一つです。
石碑、裏側。
高さ165cm、幅88cm、台座は約100cm。
その他 敷地内
五妃墓は元魁斗山と呼ばれていました。魁(kuí)と桂(guì)の中国語での発音が似ていることから、多くの詩人や文人がその発音をとって「桂子山」と呼んでいました。
また以前この辺りは荒涼としており、細い道が曲がりくねって蔓草や雑草が多く生え、人気が無かったことから「鬼(guǐ)仔山」とも呼ばれていました。
総面積は3,000坪以上で、4本の街道によって範囲がはっきりと定められており、四角形となっています。四方には古い石を積み上げられた壁、北側には石段があります。
五妃の墓と廟はその中にあり、敷地に占める実際の割合はわずか200坪あまり、全体の15分の1の面積です。
敷地内を見学していると、近所に住んでいるという日本語を話されるおじいさんと出会いました。
おじいさんの話によると、昔はこの場所一帯が墓地だったそうで、今でも端の方に暮石の姿が残っていました。
地面に半分以上埋もれてしまっていますが、お墓だということが分かります。
かつては敷地内にあるベンチで台湾将棋をするため、たくさん人が集まって賑やかだった、と懐かしそうに話されているのが印象的でした。
今は訪れる人も少なく、ひっそりとした雰囲気が漂っていました。
五妃廟の行き方・アクセス方法
「孔子廟」より徒歩約15分。
バス便:2番バス乗車「南門路(Nanmen Rd.)」停留所より徒歩約3分
五妃廟の営業時間
電話番号:+886 6 214 5665
営業時間:8時00分~17時30分
定休日:なし